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転生の倫理 ―大島弓子『8月に生まれる子供』―

大島弓子は初期作品から一貫して、「この世界」に居場所を与えられないマイノリティな「外の世界」の住人を、この世界に軟着陸させるべく格闘してきた。猫や子供、夢見がちの少女、さえない男、そして老人。

『8月に生まれる子供』はそんな大島弓子の倫理が結実した最高到達点だと言える。
主人公の種山びわこは、18歳の女の子だが、ある病気で急速に老化が進む。腰が曲がり、目がかすみ、歯が抜け、物忘れが激しくなる。その老化の過程で、記憶や尊厳など様々なものが引きはがされていき、びわこを「外の世界」に連れていく。

この作品が他の大島作品と比べて異質なのは、〈老人になる〉という外の世界に向かっていく変化が、もともと「外の世界」の住人だった猫や夢見る少女とは逆のベクトルを向いていることである。猫やお姫様は「外の世界」からこの「世界」に向かっており立とうとする。そして猫やお姫様になりたい女の子は、現代でもごまんといるだろう。「この世」たる〈現実〉がそのような猫やお姫様を拒むような汚くて、つまらないものならば、「この世界」と交渉することはない。「外の世界」にとどまって猫やお姫様であることは、一種の夢でもあるといえる。

しかし、老人はそうはいかない。老人になることは、もといた「この世界」から「外の世界」へ押しやられる斥力としてある。きしむ身体、はぎ取られていく記憶、社会で居場所がなくなっていく孤独。しかも、ボケゆく老人はボケていくような「自分」を自身で確認することができない。ただ事後的に、自分が世界とずれてゆくことを、家族や医者や恋人の反応から推測するほかないのだ。つまり、猫やお姫さまが、かろうじて依拠できていた「自分」という足場すら揺らいでいるのだ。自分は、どこまでが自分なのか不明瞭になり、足場を失ったびわ子の世界は「年号も日付も曜日も関係なくなって ただ不快な空間があるだけ」になる。

出産を控えた姉が実家に訪ねたとき、びわ子の家族は姉の身体に配慮し、びわ子の老化現象は、演劇の役作りのための変装なのだ、と嘘をつく。びわ子はその瞬間、世界に自分がさも「存在しない」ような、居場所のない孤独に襲われ、姉や家族を拒絶する、「おまえなんかどっかいっちゃえ! どっかいっちゃえ!」と。びわ子は主観的にも、客観的にも、この世界に存在することができなくなってしまったのである。

自分がなくなったとき、人はどうなるだろう?内側からも、外側からも、「自分」がみえなくなったら?
おそらく、それでも無理に「自分」であろうとするあまり、他者を拒絶するだろう。じっと動かず、あるのかないのかさえ不明瞭な「自分」を守ろうと、殻をつくるだろう。びわ子の恋人である持草薫のかつての祖母のように、誰にも「ふりむかず」「ただ固く自分の身を守ろうと座っている」だけの存在になってしまうのではないか。びわ子はそんな世界の斥力に、ただただ、徘徊し、帰る家のないことを嘆き、孤独にたたずむ。

自分という足場をなくしたびわ子。暗い、暗い、こわくて、歩けないような暗がりの中を、ただ一人、持草薫の声だけが足元を照らす。かつて自分の祖母に悲しみの感情とともに向けた言葉とともに、びわ子の足元をか細い光で、照らす。

なにもいらない ただこっちをみてくれれば

ほどなくして、姉が出産するとの報告がびわ子の耳に入る。その言葉に、びわ子は反応する。

ウマレル?ボケた自分は別な自分の誕生かもしれない そうだ別な自分がこれから生まれるんだ


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プロフィール

コタロー

Author:コタロー
こんにちは。
大島弓子さん、山岸凉子さんが好きな20代男性です。
昔は社会倫理学を専攻。
最近は、進化生物学・進化心理学など勉強しています。
日々思いついたことを書いていきますので、お暇でしたら読んでくださいね。

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